独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

 

なんだかおかしいなとずっと思っていたのだ。ヒトラーがただの狂人だったというのなら、どれだけの権力を握っていたにせよ、1人の狂人にすべての人が支配され、止めることが出来なかったなどということがあるものだろうかと。

 

悲観論者がいない、もしくは悲観論者がトップに立つと、戦争というのは最大級の惨禍を生むことがあるらしい。

 

ヒトラーはソ連侵攻の際、その計画を軍部と立てるにあたり、ウチは軍備に金かけてるし兵士たちは精鋭だから、あんなグズでノロマな巨人(ソ連)なんかすぐ蹴散らすし、と言わんばかりに無理な作戦を立てる。

 

一度もしくは、数回の会戦でソ連なんて楽勝で倒せるし!遠くまで出張っていくための兵站?そんなん知らんし!必要になる前に撃退するから考える必要なし!

 

というざっくりした計画を立てたのはヒトラーと当時の上層部。さてはヒトラーの勢いに乗っかって甘い見通しで、ことを進めようとした人間が結構いたんだな。

 

戦後は死んだヒトラーに全部おっかぶせて、あの時代はヒトラーがホントにヤバくて誰も逆らえなかったんですよ~な感じにしていたが、最近の軍事研究、歴史資料の公開による再検討で、実はノリノリでヒトラーをソ連との戦争に誘導していた人たちの存在が明らかになりつつあるそうだ。

 

実際に戦争が始まってみると、ヤベーよ、ソ連兵、考えられないほどタフだし賢いし戦術も優れてるじゃんか(誰だよ愚鈍な巨人とか言ったの、、)と嘆くかのようなドイツ軍の前線での記録などがあるそうだ。

 

しかし、それですら戦争開始当初にドイツが善戦している時点での話なのだ。当初のドイツ軍の計画はある程度は予定通りにいって、ソ連軍の指揮系統は混乱させられ、補給路を断たれていた。

 

しかも開戦前のソ連は、裏切りが怖すぎて鬼のように疑り執念深いスターリンの大粛清によって、軍部のベテランや中堅までが処刑されたり強制収容所に送られていた。軍の主だったメンツはペーペーか急な徴兵で集められた「これから訓練しまーす」みたいなメンツばかり。

 

身内から裏切り者が出るのが怖すぎて、自分の身(国力)を削るかのようなスターリンの悲観主義。「健康のためなら死んでもいい!」くらいの矛盾を感じるが、そこはそれ分母(人口)のでかいソ連。

 

ちょっと態勢を立て直せば、これまでに築いた優れた戦術や、もとよりのタフさで、やすやすとドイツに良い思いなどさせないのである。流石おそロシアですよ。ソ連だけど。

 

ドイツはバルバロッサ作戦でヨーロッパ・ロシアに侵攻、占領し、スターリン体制の瓦解を目指した。予定通りの短期で数回の会戦でソ連を撃退できはしなかったけれど、ドイツは当初どの戦いでもなんとか勝ってはいたのだ。

 

しかし表面的な勝利の陰で、ソ連軍の善戦はボディブローのようにドイツ軍の戦力を削いでいった。最終的に周知の通りドイツは敗北するわけだが、その素因はほんの最初の頃から明らかだったのだ。

 

予定外に長期化する戦争と、これまた予想外にタフなソ連兵とその優れた戦術。長期戦に対する措置を取らず兵站を軽視したことは、ドイツ軍を消耗させ戦略的な打撃を与える能力を失わせていく。こうして徐々にドイツ軍は戦争に「勝つ」能力自体を失っていったのだ。

 

しかし、それにつけてもドン引きするのはこの戦争の死者、行方不明者、捕虜の多さだ。ソ連ではざっと計算すると国民の10人に1人以上が戦争に関わり喪われているのか。

 

なぜここまで人が死ななければならないのか。それはこの戦争が通常戦争では済まず、世界観戦争であり絶滅戦争だったからだとする本書の指摘が腹落ちする。

 

独ソ戦では、双方とも通常戦争では守られる戦時国際法を守らず、捕虜を大量に虐殺した。収容所においても最低限の食事、休養をとらせることもなく多くの人が死に追いやられた。

 

未曾有の惨禍を生み出した背景は、この戦争が独ソ両方が、互いを妥協の余地のない滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行のエネルギーに据えたことだ。

 

ヒトラーはドイツ国内を掌握するために強くわかりやすいイデオロギーを必要とし、自国民に増税などの犠牲を強いて人心が離れてしまうのを避けるために、他国を侵略し手に入れた土地で収奪をするしかなかった。

 

対してソ連はスターリンのもと、コミュニズムとナショナリズムを融合させ、ナポレオンの侵略撃退に成功した「祖国戦争」になぞらえて、対独戦を「大祖国戦争」と定め、ドイツへの報復感情も利用して民衆を鼓舞していった。

 

あまりにも酷いことが起こると人間は思考を停止して、安易に犯人にできる人物や事柄にその罪を着せて終わらせようとする。もしくはうまく利用して都合の悪いことを隠そうとする者もいる。

 

歴史に学び、災禍を繰り返さないようにするためには、客観的で俯瞰的な視点が必要なのだ。これほど様々な視点から誰に肩入れするでもなく書かれ、素人が読んでもわかるように書かれた本書は間違いなくそれであった。

 

新書の多くない文量でこれが実現できることに驚きを禁じ得ない。今年の新書ナンバーワンと言っていた人がいたが私もまったくもって同意である。

 

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