コンビニ人間

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読んでいると突然変異で先祖返りしてしまった野生の生き物がうっかり人間社会に紛れてしまったのを見ているような感覚に陥った。野生の生き物が幸せを追求するために生きているのではなくただ生きるために生きているように、主人公はあるがままの自分を理解して周囲との齟齬があるのを理解しながらもそのまま生きるしかないのだ。

 

そこには不幸はなかった。分かり合えないことの残念さこそ感じるものの、異なっているという事実が存在しているだけであるかのようだ。主人公は鈍感ではない。むしろ周囲の空気感に敏感である。自らがそれと違うことを幼い頃から理解し、はみ出さないように生きた方が良さそうだということもわかっている。その辺も環境に合わせて生き方をを変える野生の生き物のようである。

 

いい歳をしてと言われながら就職も結婚も出産もせずコンビニでアルバイトをして生きる彼女は自らが周囲の人とは違う世界で生きていることを認識している。特にこの主人公に違和感を感じずに周囲の人間にこそ違和感を感じながら読んでいた。これは自分が恵まれた時代と環境に生きていることの証左であるか、周囲の空気感に鈍感であるかのどちらかか両方だろう。時に実利よりも社会的な生き物であることが優先される世の中で、コンビニ人間としてだけ人間社会に適応できる主人公は浮き立った存在になる。

 

試行錯誤して仮の番の相手を設けてみたり、交尾をして子どもを産むことを検討したり、人間社会に馴染もうと努力をする。個人的には感情的ではなく懸案を解決していこうという前向きな姿勢に非常に好感が持てる。家族の気持ちを思えば、もう少し難儀でない生き方はできんのかと心配になる気持ちも理解はできる。しかし無理なものは無理なのである。人間には向き不向きがある。

 

唯一不幸であったとすればコンビニを辞めて自分の生きる方法を見失い周囲との距離も縮まらないまま途方にくれていた時だろう。行先を見失っていた彼女は試行錯誤の過程でコンビニに再会する。途端に彼女の生命は生き生きと脈動を始め視界は開け、思考は明快になり肉体は活動を始める。

 

仕方ないのである。周囲の人が幸せになるために生きる世界で、彼女だけは生きるために生きているのだ。その世界とこの世界は基本的には交わることはない。しかし人間だからこそ主人公はコンビニ人間として生き方をとることができた。それはそれほど悪いことではないと思うのだ。第155回芥川賞受賞作なかなかに良作だった。

 

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