日本語や英語に方言や訛り、丁寧語、しゃべり言葉、得手不得手な表現があるような感じだろうか?手話にも種類があるそうだ。
聾(ろう)学校卒業者、日本手話の利用者、聾社会に属する人のことを「聾者」。聴こえる人のことを「聴者」というのだそうだ。聾唖者の「唖」の字は話せないことを意味するため、聾者の人のはそう呼ばれることを好まないことがあるらしい。
口話法、高性能の補聴器、手話を使って、聾の人も話すことができる。手話はひとつの言語であるという。そりゃそうだよね。発声できなければコミュニケーションが取れないわけではないもんな。
聾者は音声言語獲得前に失聴した人がいる多いとされる。主人公の荒井は聴こえないわけではない。父母、兄が聾者なのだ。そのため聴者の彼は流暢な日本手話を使うことができる。こうした両親ともに聾者の中で育った聴者の子どもをコーダと言うそうだ。
荒井は家族の中でいつも孤独だった。自分だけが聴こえる。転んだとき、泣いて呼びかけても家族たちは振り向いてくれない。聾者の親が聴者と話すとき、彼がまだ子供であったときから通訳として頼られた。父親の病の余命宣告を母親に通訳したとき、荒井はまだ11歳だった。
荒井はかつて警察で事務の仕事をしていたが、あることがきっかけで追われるように辞めることになる。家族の中で孤独であったように、警察組織の中でも疎外感を感じ、最初の結婚もうまくいかず、現在の恋人にもどこかで心を許すことができないでいる。
再就職にあぶれた荒井は、就職相談の場で特別な技能はないのかと問われ、手話ができると答える。資格を取ってそれを生かした仕事をするのを勧められ、言われるままに資格を取り聾者のための通訳を始める。
そんななか荒井が警察在籍時代にわだかまりとなっていた、聾者が関係した事件に関連して新たな事件が起こる。
第十八回松本清張賞最終候補作に加筆修正した作品。聾という知らなかった世界を舞台にして進むストーリーだが、読み口は重くなりすぎずミステリーとしてもなかなか面白く展開する。
手話は言語である。異なった言語を使う人々がどう交流するか。その多様さは聴こえる聴こえないにとどまる話ではなく、人間が交流するには相互理解をしようとする姿勢こそが大切なのだと再確認させてくれる。