ハンニバル

ハンニバル 
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なるほどハンニバルシリーズは、あるモンスターがモンスターのための英才教育の環境で育ち、あっちこっちで下級モンスターと怪物大戦争をして蹴散らし、最後は生まれた場所に戻っていく話だったのか。

 

我ながらいい趣味をしていると思うのだが、最近「レッド・ドラゴン」と「ハンニバル・ライジング」を続けて見た。ハンニバル・レクターに関する映画を立て続けに見たわけだが、ふと気がつくとトマス・ハリスの原作小説は未習だったことに気がついたので読んでみた。

 

言わずとしれた「羊たちの沈黙」もおそらく小説は読んではいないのだが、映画の内容が鮮烈過ぎて読まなくても内容が思い出せそうなので、今回は「ハンニバル」である。映画「ハンニバル」は見ていない。なかなかの内容らしいというのを公開当時に聞いた気がするが今回本を読んで、うん、この内容の実写は見なくていいやとこのまま観ないことにする。スプラッタが好きなわけではないのだ。

 

ちなみに映画と本のラストは結構大きく違う様子だ。そこをそうするのと、ああするのとでは物語の屋台骨がだいぶ変わってしまうと思うのだが、あの小説のラストを映像で表現するのは流石に無理だという話になったのだろうか。確かになかなかになかなかな内容ではある。

 

この後の世の「猟奇殺人」だの「シリアルキラー」だの「プロファイリング」だのの〝サイコ・スリラーものは前作「羊たちの沈黙」から始まったらしい。そんな類いの本が一時よく売れていたのを覚えているし、いくつかは読んだ。そんな中にあってトマス・ハリスの本には残酷さと恐ろしさの中に品を感じる。

 

非常に嗅覚が優れた野生の生き物のようでありながら、音楽やワイン、芸術を愛するハンニバル・レクター博士。野生の生き物の残酷と洗練された貴族のような気品が同じ人物に内在することが重厚な品を生むのだろうか。今回は一部の舞台はイタリアのフィレンツェ。歴史と芸術の街にもレクター博士は非常によく馴染む。

 

彼のそんな様は自分以外の生き物が作ったものを興味深く観察する異生物か異星人のような印象を受ける。最近だとシン・ウルトラマンのメフィラスがなかなか良い異星人ぶりで気に入っている。私は生き物が異なる生き物を気に入って観察したり見守ったりする様子を見るのが好きなようだ。

 

しかしそこはハンニバル・レクター。見守ったり観察したりするだけでなく、手のひらでクルクルと転がしてみたり、食糧の対象として見てみたり。どこの悪魔か神様かなという風情であるが、どんな恐怖や痛みも恐れないスーパーモンスターレクター博士も喪われたものを悼み何とかして取り戻したいと思う点においては一般人類と同じ感情を持っていたようだ。

 

そのために持つ欲求や選ぶ手段は一味違うわけだが、なぜかラストでレクター博士がやっと幸せになったような気がして少しホッとしてしまった。恐らくどれだけ素晴らしい音楽を聴いても、どんな化け物を蹴散らしても、どれだけ美味しいものを食べても、自らの飢餓感を止められなかったモンスターがやっと充足することを覚えたような。

 

あえて言おう。お腹いっぱいになりましたか?レクター博士。

 

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