嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

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上質なミステリーもしくは硬派なハードボイルドでも読んでるような読み心地で大変に面白かった。落合博満 元中日監督を題材にしたノンフィクションである。著者はNumber編集部を経てフリーになった鈴木忠平氏。

 

この鈴木氏の筆致が良いのだ。冷めているようでいて、しかし心の中にふつふつと消化しきれない何かを抱えて吹き出し口を探しているような文章だった。この人が書いたからこの本は良かったのだ。あの落合博満について過剰に応援するでも世の中の評判通りに嫌うでもない。

 

ノンフィクションは実際にあったことを描くものであるが、人が介在する以上何らかのフィルターがかかることは避けられない。しかし実物をモロに見るよりも著者が反射させたものを見ることで、逆によく見えるようになることがある。

 

それは危険なことでもあるだろう。作者のいうことを鵜呑みにするのではいけない。ただ作者の想いを追体験することはノンフィクションを飲むことの醍醐味なのだと思い知る非常に面白い読書体験であった。

 

読んでいるといつ次のトラブルが起きてこの選手の選手生命を絶たれてしまうのかと非常にハラハラする。野球というのは身体一つを資本にした個人事業主である選手たちが集まって、勝利という同じ目的のために事業を行うという非常にリスキーなものなのだと実感する。

 

その中にあって監督やらコーチとは何なのだろう。選手を生かしたり、場合によっては殺したりして勝利を目指すこちらもまた個人事業主。

 

しかし時にファンは勝利とともに浪漫をも求める。勝てればいいのではなく、選手がその役割を全うすることを求めるファンの考えは、必ずしも確実な勝利を約束しない。ファンにとってわかりやすい面白さが勝利を遠ざける場合もあるだろう。

 

野球愛のない私からするとむしろ落合博満氏の行動の方が合理的で理解が出来る。だって勝つのが目的でやってるのでしょう。それならノーヒットノーラン直前のピッチャーを替えるのだって別におかしくはないではないかと思ってしまうのだが、そういうものではないらしい。

 

それにしても落合監督が言ったという「勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れ。」これほど指導者に言われたい言葉はないと思うのだ。

 

ついこの間、解説者として話す落合博満氏をTVで見た。恐らく監督時代とはまったく違う雰囲気を纏っているのだろう彼は、日本シリーズでどちらが勝ってほしいかと聞かれて、どちらにも応援している人間がいるからねと少し困ったような様子で微笑んでいた。

 

重い勝敗の重責から解放されたこの人は、誰よりもその重さを知っているからこそ簡単にそのことについて意見を述べたりはしないのだなと野球音痴の私でも少し腑に落ちたような気がしたのである。

 

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