向田邦子 ベスト・エッセイ

向田邦子ベスト・エッセイ
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良質にして絶品なのである。文章には読み心地というものがあると思うが、私にはこの人の書く文章が非常に心地良い。

 

家族とは共同生活を営む他人同士である。血縁関係があることもあるが親子であったとしても別の世代の異なった人間であることに変わりはなく、ましてや夫婦同士は明らかな他人である。

 

他人や異なった世代の人間同士が共に暮らすには秩序がいる。秩序とは生活習慣である。それは家々で独自のルールを持ち家族以外から見ればなぜそんなことをと言いたくなることもあるが、その家族ならではの生活習慣をもって家族は家族たり得るのである。

 

しかしまた人間は人間なので秩序から外れることもある。秩序やルールをから外れることは滑稽さや味わいを生むことがある。独自の生活習慣を認識した上で、そこから外れたり第三者的にそれを観察する視線から生まれる向田邦子の文章のおかしみや味わいが私は大好きなのである。

 

戦中生まれの人として今読んでも違和感のないほど自らの状況を冷静に客観視する人であるなと思う。理不尽とも言える父親の振る舞いや女性の社会での立ち位置に対して憤りを持つわけでもなく淡々と観察して述べられる文章である。

 

実際にはこんなにも賢い人が葛藤を抱えたり憤りを感じないわけはないと思うのだが、それを文章として昇華することである種の品を生んでいる。しかも愉快で痛快ですらあるのだ。

 

伊勢エビが玄関の三和土を這いずる話、空襲時に家族総出で逃げる話、父親のお辞儀の話、字のない手紙の話が好きである。字のない手紙の話は西炯子の「娚の一生」に同じようなシーンが出てくる。あれはオマージュだったのか。そういえば彼女の漫画のタイトルはときどき向田邦子味がある。

 

幼かったころの向田邦子が家を訪れる客人の靴を揃える話の中で、女性の靴はくっつけて、男性の靴は少し離して揃えるのだと父親に説教をされる場面があった。恥ずかしながら知らなかったと友人に話していたら友人の中でもそのことを知っている人と知らない人が分かれて、これもまた違っていることの味わいだなと思うなどしていた。

 

最も印象に残ったのは反芻の話であった。前日にナイターを見たにも関わらずなぜ翌日結果を知っているスポーツ新聞を買うのかと問いかける著者に相手は試合を反芻しているのだと言うのである。

 

スポーツも旅も恋もその時は楽しいが反芻はもっと楽しいのであると。なるほど。なぜ人は終わってしまったことを自慢したり悔やんだり思い返したりしてしまうのかと常々思っていたがあれは反芻していたのだ。

 

嬉しかったことを思い出し微笑んだり、美味しかったものをまた食べたいと思うようなことばかりが反芻ではない。思い通りにならなかったことや理不尽な目に遭った憤り、不思議な出来事があって疑問に思ったことを文章として昇華させる。

 

向田邦子が高い文章能力で親しみと味わいのあるエッセイを書くというその行為もまた反芻なのだと腑に落ちたのだった。

 

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