復讐するは我にあり

  溢れ出る昭和臭と松本清張感。違う。松本清張や佐木隆三がこの時代の空気を切り取るのが上手かったのだ。もっとも、松本清張の古い因習やしがらみを舞台に描く虚構の事件と、佐木隆三が主観を述べず、事実を積み上げて描く実際の事件をモデルにした小説は正反対のものであるけれど。

  先日、佐木隆三氏の訃報を聞き、追悼の意味で読書。著者の作品は昔、殺人百科を読んだだけで代表作であり直木賞受賞作である本書は初読だった。

  福岡で起こった殺人事件の容疑者は、日本犯罪史上空前の捜査網をかいくぐり詐欺と殺人を重ねつつ日本中を逃げ回り、78日間も捕まらなかった。逃げる先々で大学教授や弁護士になりすまし、人々とよくしゃべりよく交流をもち、怯えて逃げ回る人が取るであろうそれとは全く違う行動をとる。

  全国に指名手配されて、顔を隠すわけでもないのに、こんなに長く捕まらないものかと不思議に思うが、つい最近も大阪の刑務所から脱走して自転車で日本一周のふりして長いこと逃げた犯人がいたな。人はいくらニュースを見ても、それが自らの日常の中に起こりうることだとは思えないものなのか。

  冒頭の筑橋市の農婦の場面。嫁と不仲な彼女が秋刀魚を食べるために自家農園の大根を抜くために畑に行き、遺体を発見するところから事件は始まる。中盤までは犯人は登場せず、その痕跡を淡々と追う作業が続く。

  刑事たちが聴取する人々や被害者の人となりは時代性は違うにせよ一般的な市井の人々だ。著者が初めて用いたという主観的な意見や感情を述べずに構築されるストーリーは、逆に読者の想像力を呼び、時代の匂いを香らせる。

  宮部みゆきの「理由」は本作のオマージュなのだろうかと思うほど、事件の関係者の証言を積み上げてストーリーを展開させる手法、犯人の確保のされ方が似ている。その後の作家たちに新たな手段をもたらした分岐点的な作品なのかもしれない。

  もうすぐ平成も終わろうとする今読むと、改めて時代の移り変わりと人間の変わらなさを感じる。

  犯人の色欲と金銭欲と支配欲の強さにドン引きしつつ、こういう全方向に意欲の強い人間が間違った方向くと、とんでもない事件起こすんだなあと恐れおののくばかりの読書だった。

 

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