李歐

脳みそが雑だからか、この間、北村薫の本をしばらく高村薫だと思って読んでいた。「マークスの山」とはずいぶん作風が違うなと思いながら読み進めて、だいぶ読んでから別人だ!と時がついた(バカ)。


本作は、流石に勘違いせずに読み始めた。北村薫と高村薫って男女のあるべき的な世界観とは、作風が逆だなと思いながら、本書冒頭の硬質なハードボイルドみたいな内容を読んでいたが、読み進めるうちに、これは女性的な小説だと気がついた。

母親の出奔で1人になった主人公は、妙にに冷めていながら、人妻と関係したり、水商売のバイトをして裏の社会と繋がりを持つたりしながら、モノクロの世界を生きていたが、李歐と出会ったことで世界は色を取り戻す。

主人公の吉田一彰という非個性的な名前が既に、「誰でも、何でも、来るものを拒まない感じ」を表している感がある(同姓同名の方は申し訳ない)。

刑事の「田んぼのおまる」が主人公を評して「君には女も男も犯罪も全てのものが寄ってくる」というようなことを言う。本人は強く望んでいる訳ではないといったそぶりながら、周囲を引きつけ、様々なことに巻き込まれていく。

しかし李歐と出会い、強く惹かれながらも、それを抑制しつつ、なお、お互いに求め合う様子に、なぜか軽い苛立ちを覚える。

終わりの方で、主人公のそばにいる人が酷い目に合う場面に至っては、「そりゃないだろう」と非常にやりきれない気持ちにさせられる。

面白いのに主人公が好きになれない不思議パターン。するべきことはしているし、払うべき負債も払っているし、誰かを軽んじているわけではないのに。

率先して応援できないのは、私の中に、主人公の業の深さに、嫉妬するような気持があるからなのかもしれない。

この主人公の業と、それに対して生じてしまう自分の感情。この辺が非常に女性的な小説だと思ってしまう所以かもしれない。

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