残像に口紅を

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大抵の小説は主人公に理不尽に障害が襲いかかり、そのことを克服することでドラマが生まれるわけだが、この小説は一味違う。なんと理不尽な状況に主人公を追い込むのは主人公自身なのである。

 

なにせ世界から言語が少しずつ減っていくのだ。「あ」「パ」「せ」「ぬ」「ふ」「ゆ」…。ここで言う言語とは日本語表記の音のことである。

 

減った音を含む単語は物理的に物語の世界から消えてしまう。それが娘であろうと、妻であろうと、パンであろうと、芥川賞であろうと、助動詞であろうとだ。

 

主人公の作家は、もともと無機物を登場人物にしたり、虚構とか汎虚構論だとかの小説を書いていた。 ちょっと何言ってるかわかりませんと批評されて、無機物に感情移入できないようでどうする!これからの読者は人間はもちろん無機物、いや言語そのものにすら感情移入できなければアカンよ!

 

なんてますますわけのわからない方向性に向かっていたところを、友人の作家に、言語が持つ内容と表現はどちらが重要なのか。言語が失われたとき、内容とイメージはどちらが惜しまれるのかを試してみようじゃないかと促され、このはた迷惑な試みをすることにするのである。

 

作り話でありながら、その世界の不条理なルールを主要な登場人物たちが決める。登場人物である作家が生きる架空の世界で、言語が消えて、物語の中で現実的に人やモノが消えていく。

 

二人の勝手な思いつきで、周囲の人々は自分がよくわからないルールに従って消えていくことを自覚している。主人公もなくなっていくものがあるのを自覚するが、無くしてしまったという感情も時間が経つにつれ薄れていってしまう。

 

この小説はもちろん架空なのだが、架空の世界の中にルールに従って現実的に消えていく人や物がある。架空の中の現実は架空だろうとか、ごちゃごちゃ考えていると訳がわからなくなってくる。

 

メタフィクション(フィクションについてのフィクション)について調べてみて、この状態を指すのか考えている間に、ますます頭がごちゃごちゃしてくる。

 

私の頭の散らかりはさておき、作家とは自らの生み出した主人公をあえて苦境に陥らせ、そのことで読者の感動を呼ぶのであるから、なんともドSでドMで変態的な人たちであることだと思うことがある。

 

読者の心を動かすのは表現手法としての言語なのか、言語の生み出す感情なのか。そりゃもちろん感情だろうと思うのだが、では言語無くして感情が生まれるのかと言われれば、それもまあ難しいだろうと容易に想像はできるではないか。

 

では確認のために言語を少しずつ消していってみようじゃないかと思いつくのが変態的だというのである。

 

しかし、そりゃ無理でしょうよ、で話を終わらせてしまっていては見えてこないものを作者は制限された言語で描き出す。

 

あの音とその音がなくても家族に対する思いを表現することができる(忘れちゃうけどね)。

 

あの音もその音もこの音もなくても、こんなにエロいシーンが書ける。

 

あの音もその音もこの音も、さらにもっと音がなくなっても、自分の幼少から抱えていた心の葛藤を描くことが出来る。

 

いや、多くの音がなくなったからこそ、今まで書けなかった気持ちを描くことが出来るようになったのではないかと主人公は言う。

 

手段を限定するから描けるものもある。言語という手段を削っていくことで、それでも感情という目的は残るのかをあぶり出そうとしている。うがった見方をすれば目的と手段はどちらが先にあるのかをあぶり出そうとしているのではないか。

 

それにしても実験的な小説である。20~30年前くらいまでの作家さんたちはお高くて、インテリで理屈っぽくて、プライドも高いね。机に座ってそんな小難しいことばっかり考えるくらいなら、薪のひとつでも割ればいいのになどと思っていたのである。

 

しかし、そこはそれ、やはりプロにはプロにしか使えない技術とセンスがあることを痛感させられる。本当に最後は1音もなくなったもんな。これで物語を作れるって凄いことだ。

 

面倒臭くて答え合わせなんてしていないけど、誰かがやってるんだろうなと思ったら、やはり消えたはずの音を使ってしまっている部分が何箇所かあるらしい。書く方には技術が、読んでツッコミを入れる方には暇が必要な本であった。

 

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