異邦人

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エレファントカシマシの宮本氏の女性ボーカルカバーアルバムに久保田早紀の「異邦人」があって絶品だったのである。異邦人といえばカミュだなと以前人にもらった物を読み直してみた。

 

ふと気づくと、この小説はずいぶん短い。読んだ新潮文庫は昭和四十六年の四十一刷、値段は120円(時代が違うとはいえ安い!そして紐のしおりがついていて嬉しい)。 作品としての本文は131ページしかない。優れた文章というのは極端に研ぎ澄まされていながら、それを読者に感じさせないものなのだ。説明の足りないところはないし、必要なシーンを省くわけでもない。有名な「ゆっくり行くと日射病に」のくだりなどはそこだけ読んでも深い味わいがあり無機質な美しさもあってついずっと眺めてしまう。

 

『「ゆっくり行くと、日射病にかかる恐れがあります。けれども、いそぎ過ぎると、汗をかいて、教会で寒気がします。」と彼女は言った。彼女は正しい。逃げ道はないのだ。』

 

この印象的な文章を引用していた作品がなんだったか思い出せず調べてみたら吉田秋生の「楽園のこちら側」で使われていた。「楽園のこちら側」はフィッツジェラルドの作品名を引用したものであり、吉田秋生の漫画はこういった文学的な引き合いがたくさん出てきて勉強になるなぁと、後になって知識がつくほど感心するのである。

 

主人公を見ていると自分と世界の物差しが合わずうまく噛み合わないためフワフワしている印象を受ける。そんなに若そうでもないのに俺、他の人とちょっと違うし的な厨二な意味か?それは格好悪いなあと当初思っていたのだが違うのである。

 

ずっと歌詞の意味がわからない歌があった。ユニコーンの「素晴らしい日々」で『君は僕を忘れるからそうすればもうすぐに君に会いに行ける』という箇所だ。大好きな歌なのだが、ずっと、なぜ好きな人に忘れられると会いに行けるのかわからなかった。

 

この本の最後で死刑を宣告されたムルソーが『一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。』と語るシーンがある。

 

この二つに大きな共通点を感じた。圧倒的に孤独なのだ。人間は個人としてしか意識を持つことは出来ず、どれほど愛していても他者の気持ちを思うことは出来ない。しかし自分は自分であるから変わるわけにはいかない。わかったふうなことを言っても人間は自分のことしかわからず、他人のことなど何もわからないのだ。

 

なるほど「素晴らしい日々」は恋の歌でなく人間の孤独の歌だったのだ。恋の歌は共感を得るための歌で真逆なのだから噛み合わずわからなかったのは当然なのだ。異邦人もただ阻害され理不尽(まあ人を殺してはいるわけだが)な目に合う悲劇を描いているのでなく、孤独と人間の強さを描いた小説なのだ。あの印象的な一説は、どのように生きても自分は自分からは逃れることは出来ないことを言っているのではないか。

 

音楽のつながりで読んだ本が長年の歌に対する疑問を解いてくれた。こんなこともあるのだなと非常に驚きを得る読書体験になった。

 

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