羅生門・鼻

世の中の多くの人が知っていることではあるだろうが、芥川龍之介の天才を確認した。削ぎ落として削ぎ落としてありながらエッジが効いた文章は艶やかであり、平安時代を舞台装置に寓話性を持たせた内容は極小の分量にして最大限の効果を持っている。

 

先日テレビで映画 羅生門を放送していて途中から見た。恐らく見るのは初めてだったのだが非常に印象深く目が離せなくなった。最初から見れば良かったと悔やんでいたがAmazonプライムにあったので今度改めて見てみよう。

 

羅生門と言えば、言わずと知れた芥川龍之介の有名作品である。確か飢饉だか疫病だかで荒廃した街が舞台の話だったと記憶があって、このコロナ禍の今読んたら何か気づくことがあるだろうかと読んでみた。

 

退廃的にしてかつ人間の本質に迫るそれは、シンプルでありながら物語のシルエットをより濃くする。なんというかゴリッゴリの骨太でありながら超絶技巧を持ったギタリストの演奏みたいな印象である。

 

これ今じゃん!今の話じゃんよ!!と声を上げたくなった。死人の髪の毛を抜く老婆に対して下人が抱く気持ちは今の自粛警察の人らの心情でしょ。

 

「鼻」ではあごの下までぶら下がる長い鼻を気にした僧侶が念願かなって鼻を短く出来たことで手に入れたもの。「芋粥」では飽きてみたいと思うほどの好物をたっぷり食べられることになった男の陥った気持ち。それぞれにそういうことってあるわ〜と共感しきりなのである。そして「好色」の変態たるや見事である。なんという多彩なキレとコクの数々か。

 

ちなみに常識なのかもしれないがよく調べると映画 羅生門は小説 「藪の中」と「羅生門」の両方を原作にしたものなので映画のあの人やあの人は出てきません。相変わらずおっちょこちょいな読書である。これは「藪の中」も近いうちに読まなければ。

 

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