羆嵐

以前も述べたが好きな生き物は熊と鮫とペンギンだ。先日ゴールデンカムイという漫画を読み、羆コワー!羆といえば羆嵐!!と再読することにした。

この本、未だに本屋に行くと平積みで置いてあったりする。出版年は1982年。根強い人気だ。恐ろしくて恐ろしくて有名な、実際にあった三毛別羆事件を元に描かれた吉村昭の小説である。

表紙も怖くて怖くて、子供の頃にはじめて読んだときは、絶対に表紙を表にして置けなかった。実は今回読むときも、つい表紙は裏向きにして置くようにしていた。現在売られている本も装丁は変わらず、表紙の恐ろしさまで含めて羆嵐といった様子。

しかしながら、ずっと熊害の描写の恐ろしさに惑わされていたが、今回読み返してみて印象が変わった。この本はむしろ圧倒的な強さを持つ生き物を、恐れながら敬う信仰に近い。

それこそゴールデンカムイに書いてあるが、アイヌの人にとって羆は神なのだという。よく言われることだが、仏は人に祟らないが、神は祟る。

北海道開拓民の中でも貧しい方であった本作の舞台の村民たちは、もともと住んでいた痩せた土地から、豊かな恵みを目指し移住して来た人々だった。それも一度の移住ではなく、最初に移り住んだ土地は虫害にさらされ、再びの移住を余儀なくされている。

やっと見つけた安住の地で少しずつ土地を耕し、家を作り、生活の基盤を築こうとしていた時に、未曾有の熊害に見舞われたのだ。

やっとの思いで手に入れた安住の土地と家屋に対する執着から、当初村人たちは甚大な被害にあっても、その土地を離れる覚悟がなかなかつかない。流浪の果てにたどりつき、築いたものは簡単に手放せないのだ。

しかし非力ながらも少しずつ環境を支配しコントロールしていけると思っていた村人たちは、羆に襲われたことで、あくまで自分たちも時に捕食される側になる、ただの生き物であることを実感する。

『奇妙な感慨が、区長の胸に湧いた。かれは、呼吸をし血液の循環しつづけている自分の肉体の存在を強く意識した。それは、生れてから食物の摂取によって成長し維持されてきたが、一頭の野獣によって呆気なく死体という物質に変質させられるかもしれない。』

圧倒的な力をもつ羆を前に、人間は無力だった。応援に駆けつけた警察や隣村の人々も被害を目の当たりにして萎縮し、到底羆を退治できるようには思われなかった。

村人たちは熊撃ち専門の猟師である山岡銀四郎を呼ぶことにする。銀四郎は優れた猟師であったが、酒乱で乱暴者の村の厄介者だった。なぜ銀四郎は厄介者であったのか。

羆猟師とはいわば神に近づき、それと相対しようとするもの。神に近づきすぎるものは甚大な畏怖にさらされ、自らの何かを犠牲にしないとその仕事をまっとう出来ない。銀四郎は自己を維持するために、酒に溺れることが必要になってしまったのではないかと村の区長は気がつく。

この出版不況の時代に、40年近く前に出た本が、なぜ未だに世代を問わず読まれているのか。それは人間が人知を超えた強さと大きさを持った生き物に対して本能的に強く恐れを抱き、しかし、またどこかで憧れをも抱いてしまうからではないか。

恐ろしくて恐ろしくて尊い。やはり羆嵐は熊本の傑作だ。

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