聖の青春

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人間に公平に与えられているのは時間だけであり、肉体・環境などはことごとく不公平なものである。そのことに気づかなければ不公平が無かったことになるなら、気づいてしまうことこそ不幸なことである。しかし限られた不公平な状況の中でこれほど命を燃やす人がいるとなるとどうなのだろう。もしかすると「人間は公平でない」という概念は、ヒトが手に入れた中で最も不幸で最も重要なものなのかもしれない。


幼い頃からネフローゼを患い、遊びたい盛りの歳から安静を余儀なくされた村山少年は将棋に出会ったことで自分が何をするために生きるかを決めたようだ。

 

人生には期限があることを意識しなくて済む幸せな人々は、無意識に悠々と時間を使う。無駄なことや今しなくてもいいことをする。あれもこれもと欲張って色々欲しがりすべてにこだわりを持つ。そういったことは自分の持ち時間を意識していたらできないことだろう。

 

「三月のライオン」の二階堂くんはこの人がモデルなのだろう。しかし漫画の二階堂くんより実在の人物はかなりキャラクターが強い。

 

戦後間もなくくらいの世代の人だったかと思いながら読んでいたが、羽生さんと同世代ということはと思いよくよく調べたら1969年生まれで驚いた。ろくに風呂も入らず歯も磨かず髪も切らず、具合が悪くなると都度都度広島から上京や上阪して面倒を見る母親にもキツく当たり、将棋の師匠である森信雄氏に対しても阿るでも遜るでもなく好きなことを言う。この破天荒さが許されるのは戦後だからかなと勘違いしてしまった。

 

将棋で勝つことだけを目的にその他のことは全て優先順序の外である。身綺麗にすることでいらぬ摩擦を避け、人に嫌われるのを避けるため空気を読むのを良しとする最近の風潮からすればまったく異端である。

 

これは将棋の世界というものが、勝てば他のことはしのごと言わないという懐の深いものだからなのか。師匠の大きな器のせいか。愛嬌があってよく人に愛されたという彼のキャラクターによるものなのか。

 

村山聖は中学3年で奨励会に入り、211ヶ月の19861115日にプロデビューを果たす。度重なる病気による不戦敗にも関わらず谷川浩司や羽生善治を超えるスピード出世であった。その後闘病を繰り返しながら昇級を進め、19954月にA級八段まで登りつめ名人位が射程圏に入るようになる。

 

彼は生きているものを大切にする人であった。髪を切らないのも無精であったこと以外に生きているものを大切にしたいという思いがあったようだ。阪神淡路大震災の時に多額の寄付をしたり、子どもたちへの支援をしていたことが書かれている。命の大切さと子どもが子どもらしく生きられることの大切さを身をもって知っていたからだろう。

 

遠方から看病に来る母親に対してきつく当たったり、師匠である森信雄氏に対しての遠慮のない態度、友人たちに対する歯に絹を着せぬ物言いは人間関係に要らぬエネルギーを使うことをしないことと、心を許した人々に甘えている様子のようにうつる。

 

テレビで見る記録係が秒読みをする声と、村山氏が体調不良時にじっと聴いていたという蛇口から水滴が落ちる音のイメージが重なる。自らが動くことのできる時間を意識して生きるということは、優先順位を常に無意識につけることを余儀なくされるだろう。

 

無慈悲に無遠慮に与えられる不公平に全力で向き合った人の記録を読み、自分はどうであるかと自らに問いかけざるを得ないのである。

 

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