蝉しぐれ

無意識に、蝉がつくタイトルの本を続けて読んでいた。今年の暑さに辟易しながらも、夏を探しているようだ。

 

そういえばこんなにも暑いのに、今年はまだあまり蝉の声を聴いていない。例年よりかなり早く梅雨が明け、早々に厳しい暑さが始まったが、蝉たちは予定を早めるつもりはないらしい。

主人公の牧文四郎は、十五歳。武家の家の子で、剣の能力に恵まれている。同じ道場に通う、小和田逸平と島崎与之助とは、いいトリオだ。

大雑把だが、正直で元気者の逸平。剣は苦手だが、頭が良くて勉強のできる与之助、剣の腕に優れ、忍耐強い文四郎。

それぞれが互いの長所を認め、足りないところを補い合い、困ったときは助け合う関係だ。

隣家の娘ふくは、小さいころから文四郎になついていたが、ここ1年程そっけない態度をとるようになった。

逸平はふくが色気づいたのだと、からかうように文四郎に言うが、ふくはまだ十二歳だといって、文四郎はそれに取りあわない。

蛇に噛まれたふくの指の毒を、文四郎が吸出す場面は、少女の淡い恋心を完全な恋に昇華させるのに、十分ドラマチックであると思うのだが、文四郎はにぶい。

文四郎は、我慢と忍耐の人だ。尊敬する義父の助左衛門は、藩に対する反逆罪で、切腹を命じられる。牧家は家禄を減らされ、住まいは粗末な長屋へ移ることになる。

文四郎が義父の助左衛門と最後に話すシーンは、心を打つ。育ててくれてありがとう、父を尊敬していた、父が好きだったと伝えればよかったと悔いる文四郎に、寄り添う逸平は言う。

「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」。逸平はいろいろな場面で、ちょいちょい良いことを言う。

不遇な状況に身を置くことになる文四郎だが、亡き義父の最後の「はげめよ」の言葉を守り、腐ることなく剣の道を追求する。

そんななか、ふくは江戸に奉公にいくことになり文四郎を訪ねてくるが、稽古で遅くなった文四郎とは、会うことができない。文四郎は、立ち去ったふくを探しに辺りを探し回るが、結局話すことはできずに終わってしまう。

やっと、ふくへの好意を自覚し始めた文四郎とふくの、すれ違いが非常にもどかしい。その後、藩主の側女となったふくへの葛藤を打ち消すように、文四郎は剣の鍛錬に励む。

剣の腕があがり、道場での階級もあがった文四郎は、奉納試合で強敵に勝利したり、秘伝の技を伝授されたりする。

その中で出会った人たちに義父の反逆罪とされた事件の真相を教えられる。

さまざなな出来事は一足飛びには進まず、文四郎の我慢と忍耐と努力、義父が築いた人々の信頼、周囲の人間の助けによってすこしずつ変わっていく。

義父が犠牲になった陰謀に、自らも巻き込まれた文四郎は、事件解決の過程で、藩主の愛妾となったおふくさんを救うことになる。

いくら暑いからといって蝉が早く孵化しないように、物事が成るまでには時間がかかるのだ。

終章でのお福さんと文四郎の邂逅は、思い通りにいかない世の中で、精いっぱい努力して生きた人たちへのご褒美のように、切なく輝いて尊い。

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