食べることと出すこと

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著者は難病の潰瘍性大腸炎を二十歳で患い、その後13年間入退院を繰り返した。安倍元首相が患ったことでも有名な病である。コミカルなタイトルと装丁に勘違いしそうになるが想像していたものの100倍くらいキツそうである。

 

下痢と血便が年単位の長い間続き、寝ていても腹痛に苦しみ熱も出る。あまりに大腸から出血するので重度の貧血になり二十歳の若者がやせ衰え、少しの風に吹かれてよろけるようになり公衆電話の受話器を持つのもままならないほど筋肉が失われる。

 

著者の治療方法はステロイド治療のようだ。プレドニン(副腎皮質ホルモン)という副作用の強い薬を高濃度で点滴する。症状は治るが免疫を抑える薬なので今度は非常に風邪などを引きやすくなる。風邪を引くと持病の潰瘍性大腸炎が悪化する。

 

電車の中でマスクをしない隣の人がゴホンと咳をしただけで風邪をひく。著者は今回の新型コロナウイルスで常時マスクをし感染を恐れる人々を見てやっと世の中が自分の気持ちをわかってくれたと言う。

 

コロナ前の世の中であれば、どんな場面でもマスクを外さない人というのはそれだけでなぜマスクを外さないのかという同調圧力の対象になっていただろう。作中で取り上げられる谷川俊太郎の『ともだちって かぜがうつっても へいきだって いってくれるひと』という詩がもはや脅迫的で恐怖に感じてしまう。

 

「患う」ということは病による苦しみだけでなく、普段意識しないで済んでいる孤独を如実に避けようもなく感じることだというのがよくわかる本である。

 

病のために食べられないと言っているのに、少しくらい頑張ってみたらとやんわり強制してくる人々。同じ食べ物を食べるということはコミュニケーションの一種なのである。同じ食べ物を食べられないということを「関係を拒否された」と感じる人々がいる。

 

プレドニンという薬には人によって情緒の変調をもたらすことがあると思うのだが、病によって傷つき薬によって情緒が不安定になっている人に周囲からの無理解がさらに深い傷を与える。

 

難病とは基本的に完治せず長い間付き合っていかなくてはいけない病である。著者は発病するまでは酒も煙草も食事も普通にしていたという。自分は普通だ、一般的な人間だと自らを思っていても、ある時急に終わりの見えない苦境に立たされることがあるのだ。

 

「共に食べる」ということが人間に何をもたらすかを知っている人間が、ある日突然否応なくそれを取り上げられる。あまつさえ意図に反して取り上げられたにもかかわらす努力が足りないのではと糾弾される。余人には彼の苦痛を本当の意味では理解できない。

 

自分以外の人への想像力を持ち、軽はずみに人のすることを否定しない。今、世の中で言われている職業上のダイバーシティよりも先に、まず身体的な違いがヒトにはそれぞれにあることを想像することの方が先に必要なのではないかと思う。そして著者の症状が長く落ち着いていることを願う。

 

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