ベルリンは晴れているか

本屋大賞にノミネートされ各所でも評判の良い本だったのだが自分には合わなかったようだ。いまひとつ乗れなかった。

 

主人公のキャラクターが定まっていないように思うのだ。強いのか弱いのか。賢いのかそうでないのか。感情的なのか冷静なのか。登場人物たちの話し口調が現代日本の言葉そのままなのも違和感の原因であると思う。またラストをそうもっていくなら彼女にそんなにモノローグさせては上手くないのではないかとも思うのだ。

 

ストーリーは第二次大戦後のベルリンを舞台に、ナチスが負けた後のドイツでのアメリカ・イギリス・ソ連による戦後の覇権争いという歴史と、それに振り回される一般人の哀しみを描くのかと思えば、毒殺事件と児童連続行方不明事件の犯人探しのミステリーでもある。

 

ソ連の将校に促され人探しをさせられるのが英語が話せる以外はとくに特徴のないドイツの社会主義者の家庭で育った主人公の少女であるところもハナから違和感が著しい。ソ連の将校さん自分で探せばいいのに、何とも頼りない彼女にさせるということは何か目当てがあるんだねというのが誰が見ても明らかだ。全ては終盤につながる伏線なのであろうが、だとするとやはり人が話しすぎだと思うのだ。

 

ここ最近読んだこの時代あたりの本が素晴らしすぎた「スウィングしなけりゃ意味がない」しかり「すべての見えない光」しかり。

 

近現代しかも2~3世代くらい前の小説を書くというのは、ずっと以前を舞台にした小説を書くより難しいのかもしれない。言葉は大きくは変わっていなくても絶対に違うはずだし、人々の価値観・倫理観も今とは絶対に違うはずだ。

それを過不足なく、不自然でなく文章に落とし込んだ先の二作が別格だったのだなと再確認する読書になってしまった。

 

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