モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

「さあ旅に出なさい。世界じゅうに文化を届けるのです。」「本と一緒にいつまでもお待ちしてますので、ごゆっくり少しずつどうぞ」。中盤以降、名言が多すぎる!これは素晴らしい本だ。

 

万人が好きかどうかは知らない。でも本好きの人は読んだ方がいい。宝物にしたい本になった。今年のベストテン入り決定。借りた本だったけれど購入して大切に本棚に置こう。なにせ装丁もとても素敵なのだ。カバーを付けたのと外したの両方で楽しめる。これだけは図書館で借りると楽しめない。

 

ここ最近あまり本が読めなかった。時間があっても読めなかったので、おそらく精神的なものだろう。しかしこの本を読んで、やはり本は素晴らしい。本を読めて良かったと痛感した。この本は全ての本読みのバイブルになる。

 

少し前に何かでヴェネチアと思われる街の本屋の画像を見た。それはそれは素敵な画像で、水辺の石造りの街に映える書店は本の大敵である水などものともせず歴史と雰囲気を感じた。もしかするとあれはこの本が売れたからフューチャーされていたのだろうか。

 

本を巡るエキサイティングな浪漫あふれる旅。ノンフィクションである。なぜイタリアの山間部にある小さな村 モンテレッジォの住人は何世代にも渡って本の行商をしていたのか。

 

イタリアのモンテレッジォはダンテが訪れたことがある村とも言われているが、険しい山の間にありほぼ産物のない村である。村の特産品は村境に設けられた関所における「通す権利」と言われるくらいであった。

 

山で鍛えた体力が自慢だった村人たちは冬以外の季節は近隣の村に農作業や力仕事の出稼ぎに出ていた。しかしある年「夏のない年」と言われるほどの異常気象が世界全体をを襲い、出稼ぎ先の農園で働くことができなくなってしまう。

 

出稼ぎに出られないのなら売れるものをなんでも売って歩こうとして始まったのが彼らの行商の始まりである。当初は本でなくキリスト教の聖人の祈祷入りの絵札と生活暦を売り物とした。

 

本は当初、宗教書や専門書などで非常に高価でページ数も多く、内容も庶民の興味を引くものではなかった。しかしナポレオンの登場にともなう産業の発達で本は安価になり、少しずつのページで小売りされるようになった。内容も一般大衆に好まれる娯楽性の高いものが多く出回るようになった。

 

売れるものはなんでも売ったモンテレッジォの行商人たちは、出版社が売り残した本を仕入れ村々を回り、その人その人に合わせた本を売った。ナポレオンやオーストリア支配下のイタリアで検閲が行われる中で、本の行商人たちは石売りという体裁で臨機応変で迅速に行動し、口は固く、蛇の道にまで通じて禁書を運ぶのに適任だった。彼らは「文化の密売人」であったとする本書の指摘に、なんて格好良いのだろうと胸が熱くなる。

 

モンテレッジォの本の行商人たちはその洞察力、観察力、マーケティング能力から出版業者にとって非常に重要な存在であった。ミラノの出版創設者は行商人にゲラを読んでもらってから本を刷るか決めたという。売れる本を見抜く力は驚異的だったそうだ。

 

行商人たちはイタリアで最初の出版取次となり、その販売力を信頼した出版社は売れた分だけ支払ってくれればいいとした。委託販売の始まりである。

 

「十九世紀半ばにイタリア王国が誕生し、義務教育が定着し始め読み書きができる人が一気に増えた頃、中略、本は闇の中の蝋燭の光であり、荒波の先に光る灯台だった。出版の黎明期到来だ。ダンテがいたら、歓声を上げていただろう。」

 

行商人の人々は本を読むことが好きで道を歩いたのではなく、本を持つ人たちのために道を歩いた。本の行商人たちは本を届ける職人だった。モンテレッジォは本の魂が生まれた村なのだ。

 

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