日々翻訳ざんげ

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大好きな作家ドン・ウィンズロウの最近の翻訳はこの本の著者 田口俊樹氏であることが多い。ローレンス・ブロックなど主にミステリーを翻訳しているキャリア40年のベテラン翻訳者である。

 

エドワード・ホッパーの絵を題材にして錚々たる作家たちが物語を綴った「短編画廊」にも翻訳家として名を連ねている。「短編画廊」は作家ごとに翻訳家も違っていた。今回この本を読んで翻訳家ごとの色の違いに着目して読み直してみるのも楽しいかもしれないと思った。

 

ドン・ウィンズロウについて言えば「犬の力」「ストリート・キッズ」を訳している東江一紀さんの粋で匂い立つような感じも好きなのだが、田口さんのスケールが大きくてド派手な感じも好きである。

 

昔から翻訳というのは何なのだろうと思っていた。作品を創出するのはもちろん作家なのだが、ひとたび翻訳されれば文章は原文とまったく同じにするということは不可能である。

 

言葉や言い回しや意味をチョイスする翻訳家によって作品の価値は大きく変わる。翻訳家は第二の作家と言えるのではないか。駄作になるのも傑作になるのも翻訳物を読む限りは翻訳家次第ではないかと思っていたのだ。

 

翻訳家という職業はもれなく英語のエキスパートがなるものなるもので、誤訳などの失敗はほとんどないに違いないと思いこんでいた。なので謙遜にせよ著者が自分はどうも英語が苦手でなどと本作の中で言っているのを読んでびっくりしたのである。

 

だいたい著者の翻訳家になった経緯が興味深い。私にとって翻訳家とはどうやってなっていいのかわからない職業の一つである。著者は教師をしている傍ら、早川書房に勤める友人に翻訳の仕事がしてみたいので仕事をさせてくれと頼んだことをきっかけに翻訳家としての道を歩み出す。

 

この本は著者の過去の翻訳物を取り上げて誤訳を本人があげつらうという何ともユニークな趣旨の本である。実際のところ、駆け出しの頃の作品が多いとはいえ結構な数を誤訳してらっしゃる。

 

ただその間違えは原文の固有名詞を知らないためであったり、作中の業界ならではの言い回しを知らなかったりすることによるものが多い。翻訳家と言うのは英語が出来れば良いわけではないのだ。

 

今のようにインターネットで何でも調べられるようになる前の翻訳は今よりもどれだけ難しいものなのか。ただ、その難しさがある意味の味わいを増すことがあるのではないか。

 

英語のエキスパートであることよりも、何でもすぐに調べられる手段を持つことよりも、自分なりの言葉を持ち表現することに執着を持つことは翻訳家ごとの個性を生むのではないだろうか。それはなんでも容易に調べられる現在では得られない持ち味になるのかもしれない。

 

現代の翻訳家を目指す人が出版社の知人を探せばいいと思えるほど楽観主義ではない。だがその時代の人が楽だったとも思えない。時代時代の話というのは非常に興味深い。

 

知らない職業の話を聞くのは面白い。ましてやそれが自分が愛する本の世界に携わるものであるならば苦労して頂いてありがとうございますと感謝すら感じるのである。

 

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