梅雨である。空気は水分を多分に含み、身体も水を吸って重くなるような気がする。重たい身体は思考能力を鈍くし、頭痛など身体の不調を呼ぶ。
季節どり感としては成功だった。しかし重たい気候を吹き飛ばす何かスッキリ、スカッとするもの読みたいなと思って読んだので、その意味では失敗だった。著者の本は2作目にして私の中で完全に水属性の人に仕分けられた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」これほど、この物語を語るのに相応しい言葉はないのかもしれない。人間は小さな時間の積み重ねを生きている。それは奇跡の積み重ねであるとも言える。
遺影専門の写真館「鏡影館」がある街を舞台にした長編小説。 病を患い遺影を取ろうと訪れた母娘。写真館で見かけた写真をきっかけに語られる母の若き日の初恋とその終わり。少年二人の友情と家族にまつわる冒険譚。家族のため、仕事のため、友のために多くを犠牲にする人々。
練り込まれた構成。結びつく人間模様。巧みだ。面白い。が、しかし痛快感はない。なぜならば人間の営みは、真相が解決して終わりではないからか。水が一度たりとも同じ形を取らないように、人生も二度と同じ形をとることはなく、戻ってやり直すことはできない。それでも続いていく未来を生きる人々に、救いを見出すことはできる。
もっとこうドカンとガツンとしたヤツを読みたかったんだよねえというような私の気持ちすら、実は二度と同じ場所で同じ気持ちになることはないのだと思えば、パンチが少々足りないとか思う気持ちすら愛おしく思えるようになるような気がする。