極夜行

コロナ騒ぎが世間を席巻する最中、北極にはウイルスいるのかなあ、温度が低すぎでウイルスが活動出来ないか。でもヒトも犬も活動出来ないけどな、などと考えていた。

 

著者の角幡唯介氏は、船戸与一氏や高野秀行氏と同じ早稲田大学探検部出身である。一度は新聞社に就職したものの、どうした経緯か知らないが、冒険家となり本を執筆し、数々のノンフィクションの賞を受賞している。冒険家の世界では早稲田の探検部ってのはエリートってことかしら?冒険という非定型の世界にヒエラルキーがあるのも不思議な話だが。

 

この本で角幡氏は、北極や南極などの極地で、太陽が何ヶ月も登らない極夜の状況で旅をする。その旅はどこかに到着するのが目的でなく、極夜の状況を味わい、極夜に同化して、その果てに何ヶ月かぶりで太陽の光を浴びるとどうなるのかという壮大な実験であるようだ。

 

生き物のおともは犬のウヤミリックのみ。このイッヌが可愛い(もちろん画像を確認した)、そして抜群に頼りになる。重い荷物を引いてくれて、北極グマや狼などの動物が近づいたら知らせてくれて、癒しもくれる。

 

極夜のもたらす暗闇でなく、その先にある太陽の価値を再確認する旅である。そこまで自分を追い込まないと再確認できんのかと言いたくなるが、確かに暗闇が少なくなった現代において、暗闇の恐怖と太陽のありがたさを明確に体感できる機会は少ない。

 

「人間が本能的にもつ闇に対する恐怖は、(中略)単純に見えないことで己の存立する基盤が脅かされていることからくる不安感から生じるのではないだろうか」

 

ちょいちょい記述される、持てる現代人のコンプレックスと、矛盾する衛生電話やGPSなどのテクノロジーの利用へのジレンマが鼻につくと言えばつくのだが、お子さん生まれて間もないんじゃ仕方ないよね。というか、奥さんよく許したよね、こんな旅。なぜ出産シーンから始まるのかな、こういう風に持ってくんだろうなと、うがってみる見方の予想を外さない感じも、割とわかりやすい著者である。

 

それでも半径100キロ以内に人がいないかもしれない暗闇の世界に、犬1匹をお供に出かけていく意思。アクシデントによって陥った極夜での嵐への長逗留の後、見つけた「闇や星や月は見た目の美しい鑑賞物でなく、著者と本質的な関係をもつ存在である」という気づきは、そこに行かねば得られないものだろう。

 

暗闇で何も見えない極夜が描き出す世界は、非常に鮮やかで存在感のあるものであるらしい。光が溢れていろいろなものが見える世界で、見えないコロナを恐れて右往左往するこの冬、非常に相対的なノンフィクションだった。

 

そして、犬は割と人間のウ◯コが大好き、狼の肉は旨い、北極グマは屋根をぶちやぶって小屋に落ちてくることもあるので注意、など日常生活には全く役に立たない、いらん知識も得られて、また私の小さい脳味噌は散らかったのである。

 

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